釣書・身上書
釣書「つりしょ・つりがき」、身上書「しんじょうしょ」は、元々は「衡書・こうしょ」です。
現代社会を生きている我々には、50年前や100年前の事柄など、思いもはせないことでしょう。
これを書いている私でさえ、100年前は生まれてさえいませんから、当時のことは見ていません。
しかし、私の父が法律家だったため、お仕事の手伝いで、遺産分割、相続等の手続きを多数行いました。
数多くの、戸籍謄本を見てきました。
戦争で役場が燃えて無くなっていない限り、戦前戸籍も沢山見てきました。
終戦したのは、1945年8月15日です。
70数年前なだけです。
昭和23年、新しい戸籍法が施行されます。この戸籍法では、戦前が「家」を基本単位としていたのに対して、夫婦とその子供(2世代)が基本単位とされることになりました。つまり「家制度」が廃止され、親子単位の登録に変更になり、「戸主」は特段の権利をもたない「筆頭者」に置き換わりました。ここで現在の戸籍制度が確立したことになります。
そして現在の身分制度になったわけです。
(戸籍の歴史は、一冊の本でも足らないために、割愛させて頂きました)
ここまでが、「衡書」だったと言うと、言い過ぎかもしれませんが、文化の問題ですので法で決まったことではなく自然発生的に移行していったと思って頂ければ問題ないと思われます。「戸主」が無くなったということは、「家督制度」も無くなり、現在の個人主義になってきました。
ではなぜ、「家督制度」が無くなると「衡書」が無くなるのでしょうか?
それは、「衡書」の言葉の意味にあります。
そもそも、「衡」とは重さを揃える「度量衡・どりょうこう」という意味があります。
相手方とつり合いを取るという意味での「衡書」なのです。
「家督」=「家の資産」を基本的には長男が継いでいた時代では、「家の格」と「家の資産」が不釣り合いな結婚は、そもそも親も認めないばかりか、親類縁者にすら認められませんでした。
そこで、両親が賛成の結婚ならば、「衡書」を持って親類縁者のお許しを貰いにまわるのです。
21世紀の現代では、イメージすらできないでしょうが、まだ100年も経っていない時代のお金持ちは(当時は、大した産業もありませんので、大地主・庄屋・作り酒屋等をイメージしてください)自分の住んでいるエリアにつり合いの取れる相手方がいない場合には、他のエリアから嫁を取ったものです。
(この当時は、女は結婚すると男の氏に入るとなっていました。必然的に女の方が相手方の方に行きます)
イメージとしては、A県からB県に嫁を貰うという感じです。
その際に、現代と違い通信インフラが、郵便だけという状態で、「男方の両親、親類縁者」と「女方の両親、親類縁者」に双方の情報を伝える唯一無二の情報元が、現代の「釣書・身上書」なのです。
個人を重視する、現代社会であっても、親と子の関係は太古の昔から変わりません。
自分の子供には幸せになって欲しいと願う親御様ばかりだと思います。
自分の家の情報は出さないけど、相手の家の情報は知りたいは、大昔の日本でも通用しません。
所詮、結婚してしまい、子供ができて、親が年を取る、この間に相手方に知らせていなかった事柄はほとんど全て知られてしまいます。
遅いか早いかだけです。
だったら、早く知らせましょう。
相手に誠実に接してもらいたかったら、自分が誠実になることが肝要です。
事例
- 釣書が有る場合で、先方が勤め人(サラリーマン・公務員等)の場合。
- 釣書が無い場合で、先方が勤め人(サラリーマン・公務員等)の場合。
- 釣書が有り、先方の家が商売(自営業)をしている場合
- 釣書が無く、先方の家が商売(自営業)をしている場合
- 「釣書」と結婚調査に係わる総括
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